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自分で考えて答えを出すことって大事だなという話です。
100%正確じゃなくても今ある材料だけで考えることができ、
とりあえずの答えを出すことができると、聞き手の現時点での判断を促進することができるから。
とても混んでいる飲食店で店員さんにあとどれくらい時間がかかるか聞くとする。
「1時間ぐらいです」か「分かりません」という返事では今からできることが変わってくる。
正確ではないとしても1時間くらいなら待てるなーとか、1時間なら違う店に行こう
という決断ができる。
しかし「分かりません」と言われるとこちらが分からない。
およその待ち時間も伝えられずに何をすればいいのか。
(分からないなら違う店に行こうという判断はできるが。。。)
あと何分かを知った状態で待つ時間とゴールが見えずに待つ時間では全然違う。
このようなことを社会で普通にしてしまう
上司「あとどれくらい時間がかかりそう?」
自分「分かりません」 は悪手なのだ。
日常会話でもそう。
「何食べたい?」→「分からない、なんでもいい。」は何の判断材料にもならないため
聞き手を困らせる。
「昨日〜食べた」「〜の気分。」「野菜は嫌。」「辛いものが食べたい。」など絞るだけでいい。
判断材料が少し揃い、聞き手は次の判断ができる。
そもそも分かりませんって言葉が曖昧すぎるのもある。
時間の例で言えば、「予測できません」、
選択の例だと、「思いつかない、選べない」、
理解的な例だと「知らない、理解していない」などが使える。
分かりませんの汎用性が高すぎるのがよくないかも。
「分からない」が癖ついてる人は上記の例のように違う言葉を使ってみよう。
それだけで相手にとっての判断材料にもなるので。分からないけど。